◆リュクサンプール宮殿の変遷

 雲ひとつない真冬のパリであった。麗らかな日差しは公園を歩く人を見てもわかる。赤ちゃんをバギィーに乗せて散歩する婦人。ベンチで新聞を広げる老人。子供達は元気にボール遊びをしている。そこは平和を満喫する素晴らしい光景であった。

 地下鉄を出て数分の所に見事な宮殿と広大な公園が広がっていた。リュクサンプール宮殿とその周辺一帯の公園である。この宮殿はリュクサンプール公爵のために設計された邸宅であったが、その後イタリアからフランス王室に嫁いできたマリー・ド・メディシス(ルイ13世の母)の居城になっている。そして更にマリーのために、彼女の生まれた故郷であるフィレンツェのビッテイ宮殿をモチーフに改築されている。

 マリーがフランスを追放された後は、彼女の孫モンパンシェ公爵夫人、プロヴァンス伯爵(後のルイ18世)が居住した。フランス革命末期には権力者たちがここを活躍の地にしたほか、ナポレオン・ボナパルトが権力を掌握した歴史的な舞台ともなった。そして現在ここは元老院の議事堂として使用されている。 広い公園内には自由の女神像の原型も設置されていた。フランスがアメリカに贈った自由の女神像のお礼に、パリに住むアメリカ人達がフランス革命100年を記念して、セーヌ川のグルネル橋に自由の女神像を建てている。

 古いものへの愛着、そこに価値観を見出し手を加えてでも大切にするパリの伝統。それに比較して新しければ、便利であればと簡単に建て替える日本の風潮。今一度「もったいない」の真の意味を理解する必要があるのではないだろうか。

2009年冬