◆島崎藤村と馬籠宿

 文豪・島崎藤村の大作「夜明け前」の書き出しは中山道をこう描写していた。

 「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」と。厳しい環境であったことがよく分かる。

 中山道69宿あるなかで木曾谷には11の宿場が置かれていた。その最南端(現在の岐阜県中津川市)に位置して栄えたのが江戸・日本橋から数えて43番目にあたる馬籠宿である。この宿場は山の尾根に沿った急斜面に街道が通っており、その両側に石垣を築いて宿を建てられたことから「坂のある宿場」と呼ばれた。

全長600mの石畳の坂道を歩いてみた。そこはまるで江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚にとらわれる。軒の低い格子造りに家並みが宿場時代の面影を残している。ここで島崎藤村は1872(明治5)年に生まれている。この町自体は藤村の先祖が開いた地域でもあるのだ。馬籠本陣の跡地には藤村記念館があった。

 

 「曲がりくねった坂道をよじ登って来るものは、高い峠の上の位置にあるこの宿を見つける。街道の両側には一段ずつ石垣を築いて其の上に民家を建てたようなところ」藤村は自分の故郷・馬籠宿を「夜明け前」にこう綴っている。 私は馬籠宿を歩きながら世界遺産に登録されている南米・ペルーの空中都市「マチュピス」を思い浮かべた。人は生きていくために不可能を可能にする勇気を持っているのだ。

2008年秋