◆大阪市の復権

 水の都・大阪を象徴する場所に、威風堂々たる大阪市役所は立っていた。それは淀川水系の堂島川と土佐堀川が分かれる中之島の約100mの間にあった。正面には大阪のメインストリート・御堂筋が走っている。名物の銀杏並木が黄金色に輝いていた。御堂筋には大阪・関西を代表する、いな日本を代表するトップ企業が並んでいるメインストリートである。そして川には小船が時折行き来をしていた。

 大阪は政治、経済、文化の先進地として日本の歴史に大きな役割を果たしてきた。遙か3万年前に遡る旧石器時代の遺跡に始まり、豊臣秀吉の築いた大阪城とその城下町は、全国統一の中心地となった。その後は商業の町として日本経済の一翼を担う貢献をしている。

 大阪に市政が布かれたのは1889(明治22)4月のこと。東西南北の4区が置かれた(現在は24区)。また人口の最も古い記録では1665(寛文5)年27万人。100年後の1764(明和元)年には42万人。現在は264万3805人(昨年の国勢調査)。しかし一時は316万人に増加したこともあったが、様々な理由で長期間にわたって市外、府外へと人口流出が続いている。

 すべての面で東京への一点集中が続いている現在、その弊害は商業の町・大阪も諸に影響を受けている。特に大阪に本社があった企業は全国展開するには、どうしても東京に本社機能を移さなければならない状況に追い込まれている。東京と大阪の格差はさらに広がっている。

 地方分権とは聞こえはいいが、大阪が魅力ある都市として生きていくにはどうすればいいか。総力をあげて大阪の復権にビジョンを持ち、夢と希望を持ち、関西規模で取り組むよう経済レベルで進めることではないだろうか。

撮影2008年冬