◆正岡子規の生涯

 俳句を始めて一年少々となる。句会に出席し、吟行にも出掛けて行った。しかし世界一短い詩を十七文字に凝縮するには高い能力と、豊富な経験が要求されるようだ。特に言葉と心の感性は、人間性の豊かさと表現力なのであろう。

 愛媛県松山市を訪ねたのは今回で5回目だ。この町が「俳句王国」だと感じたのは今回が初めてだ。したがって是非訪ねてみたい所の一つが「松山市立子規記念博物館」であった。近代俳句の父と言われる正岡子規は、1867(慶応3)年に松山に生まれている。

 ここは子規に関するものを中心に、約5万5千点の資料を収蔵している。展示は「道後松山の歴史」、「子規とその時代」、「子規のめざした世界」の3つで構成されている。俳句雑誌「ホトトギス」の創刊をはじめ、ベースボールに熱中。帝国大学文科に入学。新聞社に入社。中国へ行き日清戦争を取材。夏目漱石と一緒に暮らす。短歌、日記、随筆などを連載。

 私の好きな句は「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」、「夏草やベースボールの人遠し」、「行く春の酒をたまはる陣屋哉」、「いくたびも雪の深さを尋ねけり」、「涼しさや松這ひ上る雨の蟹」、「半日の嵐に折るる葵かな」、「六月を綺麗な風の吹くことよ」。

 僅か35年間の短い生涯であった。生き急ぐように駆け抜けた人生であったとしても、日本文学史に残した影響と功績は多大であった。

撮影2007年夏