◆紀州の殿様

 徳川御三家といえば、尾張名古屋は城で持つの「尾張」、水戸黄門で有名な「水戸」、そして和歌山の「紀州」である。徳川家康は征夷大将軍に任ぜられると、江戸に幕府を開いた。時に1603(慶長8)年のことである。そして1867(慶応3)年11月15日に大政奉還するまでの、264年間もの長きに渡って江戸時代は続いた。徳川家康より始まった将軍は、第15代将軍・徳川慶喜まで続いている。その間、紀州より8代将軍・徳川吉宗、14代将軍・徳川家茂の2人を輩出している。

和歌山市の一等地に緑茂る虎伏山があった。見上げるとそこには見事なお城が聳えていた。和歌山城である。ここは1585(天正13)年に紀州を平定した豊臣秀吉が、弟の秀長に築城させたのが始まりである。さらに関が原の戦いの後に55万5千石の居城として、徳川家康の第10子・頼宣が1619(元和5)年に入城。以来、紀州藩は約250年間続いている。明治時代の廃藩置県により廃城になって以降、和歌山城公園として一般開放されている。

 この城の天守は、大天守と小天守が連なった連立式となっている。これらは世界遺産にもなっている姫路城、更には松山城と並んで、日本三大連立式平山城の一つに数えられている。現存している城の面積は、最盛期の4分の1程だと聞いて驚いた。歴史感じる城内の建物と石垣を見て、そのスケールの大きさに、さすが徳川御三家であると感じざるを得なかった。

撮影2007年春