◆日本の心「見浜園」

 平安時代の中頃、菅原孝標女によって書かれた更級日記は、作者が1020(寛仁4)年13歳から1059(康平2)年にかけて、52歳頃までの約40年間の回想録である。そのなかに「まどろまじ こよひならではいつかみむ くろとのはまの秋のよの月」とある。「くるとのはま」とは千葉県幕張海岸付近のことで、作者13歳の時にこの辺りで宿泊した際、綴られたとされている。

 千葉県立幕張海岸公園の日本庭園「見浜園」を訪ねたのは、前日の雨が見事に晴れ上がる日本晴れの美しい日であった。園内には京都北山杉を用いた数奇屋造りの本格的茶室「松籟亭(しょうらいてい)」があった。この名前は更級日記より「松原しげりて月いみじうあかきに 風のをともいみじう心ほそし」からイメージして名付けられたもの。

 近年この辺りは、幕張メッセ(国際展示場、国際会議場、イベントホール)の開業にともない、国際交流の一助とすべく誕生したのが海浜公園である。その中心にあるのが日本の伝統的文化を表現した日本庭園「見浜園」であった。四季折々の花や木々に囲まれ、池を中心に川の流れの中に、山、海、川、森を表現されていた。

 爽やかな空気が流れていた。広い園内の所々に置かれた椅子に1人座り、暫し自然美を満喫することが出来た。人生を振り返ると共に、これからの生き方へ夢と希望に心巡らせる大事なひと時となった。静かに歩きながら園内を見渡した。そこは日本人の心の優しさが、至る所に表現されているように思えた。

撮影2007年春