◆長浜城の変遷

 日本の城は実に美しい。特に大小さまざまな形の石を、見事に組み合わせて造られた石垣は、まるで幾何学模様に見えてくる。全国に残されている城の殆どは、今から300〜400年以上の時間が経過している。にもかかわらず厳然として崩れることもなく残されているのは、高度な土木建築技術の証明ではなかろうか。皇居(江戸城)をはじめ、名古屋城、大阪城、姫路城等、多くの城を見てきたが、時代を超えた偉大なる日本の宝は、今では世界の遺産となっている。

 これらは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代に、全国各地で戦いの象徴として競うように造られた。その一つに滋賀県長浜市の琵琶湖に面した「長浜城」がある。築城者は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)であった。もともと秀吉は織田信長が江北の浅井長政を滅ぼした功績により、小谷城に入城したが山城のため不便を極め、現在の長浜城を築くことになった。1575年のことである。

 今年はNHK連続大河ドラマ「功名が辻」が、大変な人気を得ている。特に主人公の山内一豊(安土桃山時代の武将、江戸時代初期の大名)、そして妻まつ(千代、見性院)の名馬を買わせた「内助の功」の話は、後々までも語り継がれている。織田信長に仕え豊臣秀吉に付せられて、数々の軍功を挙げた一豊は2万石の「長浜城」の城主となっている。

 長浜城は何人もの城主が代わった後に、江戸時代になって廃城となっている。城の建物に必要なもの全てが、彦根城の建設に再利用されている。時は過ぎ時代が変わっていく中で、美しき長浜城の再興の声が、長浜市民の熱意によって持ち上がり、1977(昭和58)年見事に蘇った。豊臣秀吉、山内一豊とその妻をはじめ、多くの人の名前が頭に浮かんでくる。

撮影2006年秋