◆戦艦大和の悲劇

 人間とは弱い者である。特に戦争という異常事態のなかでは、正常な判断が出来ず、一種のパニック状態になってしまう。私の父親は太平洋戦争に出兵している。南方のセレベス島に向かう途中、何回か船内で様々な訓練が行われた。ある日の夜中、寝静まった船内に緊急警報が鳴らされた。これも抜打ち訓練の一貫であったが、戦争という異常事態は兵士に恐怖の極限を与えてしまう。その結果、幾人もの兵士が太平洋の海の中に、それも真っ暗な海へ次々に飛び込んでしまった。運命とは皮肉なものだと残念そうに語る父。これも当時としては名誉の戦死なのであろう。

 広島県呉市に「大和ミュージアム(呉市開示歴史科学館)」はあった。1941(昭和16)年12月、世界最大の戦艦「大和」は、ここ呉海軍直轄の工場で造られた。最近希に見る映画のヒット作品の一つに、「男たちの大和」とか「海猿」がある。そうしたお陰もあって大和ミュージアムは、この種の展示としては大反響を呼んでいる。なかでも10分の1戦艦「大和」は、迫力感に加え精巧な技術が見る人を圧倒する。

 「大和」それは日本が世界に誇る、最先端技術の集大成の戦艦であった。満載排水量7万2809トン、全長263m、最大幅38.9m、最大速力27.46ノット。武器としては世界最大の主砲を搭載しており、射程距離は42km。砲弾の長さ2m、重さ1.46トン。まさに海に浮かぶ要塞であった。しかし所詮は戦艦。運命の時は容赦なくやってきた。1945(昭和20)年4月7日沖縄特攻作戦の途中、米軍飛行部隊の猛攻撃を受け沈没。乗員3332名。うち3056名が「大和」と運命を共にした。大きな功績も戦績も上げられぬまま、不完全燃焼で終わってしまったように思われてならない。

 日本が誇る「大和」が攻撃されて沈む姿を思い描くと、何故か辛く寂しくなってしまう。それは日本人として共通するものなのであろうか。何れにしても「戦争は悲劇の物語」なのである。

撮影2006年春