◆羽田空港の思い出

 ここに来るといつも夢は世界へと広がっていく。私はここが好きだ。大好きだ。場内アナウンスを英語で聞くと、更に気持ちは高潮する。「出発便のご案内を致します。――」、 ニューヨーク、ロンドン、パリ、シドニー、香港‐‐‐などの地名を聞くと、どんな町?どんな人が住んでいるのだろう?気候は?様々な想像が巡ってくる。ここにいるとまるで居ながらにして、世界旅行をしているような錯覚を覚える。本当に楽しい場所なのだ。こことは日本の空の玄関・羽田空港(元東京国際空港)ロビーでのことである。

 仕事の関係でここには、出迎え見送り等で頻繁に来ていた。海外に一度も行ったことのない私にとっては、憧れの場所であった。職場の先輩がここに100回来れば、必ず海外に行けるからと激励してくれた。その言葉通りその後何回か、海外に行くチャンスに恵まれた。これらは1978(昭和53)年、新東京国際空港(成田空港)が開港する以前の話である。

 羽田空港は1931(昭和6)年「東京飛行場」として日本で初めて開港している。終戦後は米軍に接収されるが、1952(昭和27)年解除。東京国際空港として日本の管理となり、大発展することになる。

 今では海外旅行も珍しくはなく、気軽に行ける時代になっている。しかし一昔前までは、短期間であっても壮行会が持たれ餞別まで貰った。まるで戦地でも赴くかのごとく、今生の別れにでもなりかねないような意識であった。時代は変わり、お正月、ゴールデンウィーク等の休みともなれば、海外旅行の人で空港は大混雑となる。航空機の発展は更に大きな役割を担っている。世界平和と人類の友好の架け橋となるべく、素晴らしい交通機関になることを祈っている。

撮影2006年 冬