◆ 古き日本の住宅

 北海道に住んでいた友人が、神戸に転勤になって親しくお付き合いしている。「神戸は寒いですね」といわれ戸惑った。「北海道では真冬であっても、家のなかではTシャツ一枚で生活していました」と。確かに私の家では暖房器具も少なく、一部分しか暖かくない。したがって家の中であっても厚手のセーターを着込んでいる。家の造りが全く違うように思えた。日本は北から南まで気候、風土は全く違うといってよいほど変化に飛んでいる。

 大阪府豊中市に「服部緑地」はあった。その広大なスペースの一角に「日本民家集落博物館」があった。1956(昭和31)年オープン。そこには日本を代表する民家が、そのまま移築復元されている。北は岩手県から南は鹿児島県奄美大島まで、12棟の民家が野外博物館として展示している。これらは国指定重要文化財4棟、大阪府指定文化財5棟を含む、全てが江戸時代に建てられえた民家である。

 特に感動したのは「飛騨白川郷」の民家であった。三階建の大きな屋根が、手を合わせた形に似ていることで「合掌造り」と呼ばれている。大きくて実に立派な家だと思った。二人で住むための家ではない。大家族で住むための物なのであろう。更に岩手県「南部の曲家」も素晴らしかった。住居と家畜が一つ屋根の下に住み、カギ型に分けられて飼育に便利なように造られていた。それぞれが気候、風土、習慣と、生活の知恵が見事に生かされていた。

 私は生まれてから今日まで15回も引越しをした。神戸、東京、大阪の大都市ばかりだ。大きな家、小さな家、マンション、間借りに至るまで様々だ。今思えば走馬灯の如く目に浮かぶ。殆どが貧しい家であったが、私にとって家の中は「幸せなオアシス」であった。

撮影2005年 秋