◆竹芝桟橋のドラマ

 「ありがとうございました。これから頑張って生きてまいります!」 不安を抱えながらも、故郷の島に帰れる喜びのほうが大きかった。これは火山噴火により東京都三宅村、つまり伊豆諸島の三宅島の村民3800人が避難指示を受けて離島。絶望に打ちひしがれるなか、本土に着いたのが竹芝桟橋であった。そして2005(平成17)年2月1日、三宅村の災害対策基本法の避難指示は解除された。帰島が許された。その間4年5ヶ月が経過した。そして再びこの竹芝桟橋より出発していったのである。

 私が竹芝桟橋を訪れたのは、帰島第一陣62人がここから出発して3日後のことであった。テレビ・マスコミで大きく報道された。関係者にとっては嬉しい嬉しいニュースであったに違いない。これまで一日たりとも三宅島を忘れたことがなかったと思う。仮生活には慣れたものの、地に足が着かない不安定なものであったであろう。

 阪神淡路大震災で家を失った私も、辛い被災生活を経験した。三宅村の人達の心境は多少理解できる。しかし4年5ヶ月を超える長期避難には、想像を超える大変なご苦労があったことでしょう。本当にご苦労様と申し上げたい。さあ!これからが本当の復興生活のスタートだ。命ある限り、これまで味わったことのない「大きな幸せ」にめぐり会えるように願っております。

 この日の竹芝桟橋は、冬にしては珍しく温かい昼下がりであった。近くのベンチで数人の人がお弁当を広げていた。長閑な風景であった。そんな時に船に乗り込む人達とすれ違った。大きな荷物の中には、人生の素晴らしいドラマを詰め込んで「さあ!出航だ」と語っているようであった。

撮影2005年 冬