◆ 新しい町「復興住宅」

 心痛む災害は後を絶たない。2004(平成16)年を見てみると、国内では台風が過去最高の8回に亙って日本列島を通過した。その爪あとは大きく、各地に甚大な被害をもたらした。そして中越地震である。更に恐ろしかったのはスマトラ沖地震。津波の被害はインド洋すべてに及んだ。近年歴史上最悪の15万人を超す尊い命を奪ってしまった。そして被災者は推定500万人。本当に悲しい出来事であった。自然災害の驚異の前では、人間は成す術がないのであろうか。

 私は阪神淡路大震災を、一番被害がひどかった神戸・長田区で遭遇している。自宅は全壊し二度と住むことは出来なかった。近くに住んでいた父も妹の家族も同じであった。幸いにも命だけは助けられた。それが何よりの喜びであり、まるで周りの状況から見て奇跡のようにも思えた。避難生活は近くの小学校から仮設住宅に。それぞれの道を歩んだ。父は2年間を仮設で暮らし、地域の会長を務めたため一番最後まで残ることを選んだ。すべての人が出払って最後の一人になってから、神戸・垂水区に出来た真新しい立派な「復興住宅」に転居した。「こんな素晴らしい処に住まして頂いて、感謝の気持ちで一杯だ」と、父は口癖のように言っていた。

 自然災害は人間の力では防ぎようがないかも知れない。しかしそれ以上に大きな愛と思いやりがある限り、人間は全てに打ち勝ち乗り越えていけると信じている。そして「復興住宅」に住む全ての人達に、これからの貴重な人生に幸多かれと心から祈るものであります。

撮影2005年 冬