◆ 輝ける金の鯱「名古屋城」

 名古屋城といえば「金の鯱」である。都会の真ん中に広大な土地を擁し、そこにずっしりと重量級の天守閣が座り込んでいるように見える。この城は1600年天下分け目の戦い「関が原」の合戦後に、徳川家康が加藤清正、福島正則、前田利光等の諸大名20人に命じて築城した。それは江戸幕府の安泰、東海道の要所を固め、更には豊臣家への備えのためでもあった。1612年天守閣を始めとして「名古屋城」が完成する。初代藩主には家康の九男・徳川義直。明治維新までの250年間もの長期に渡り、名古屋城は徳川御三家筆頭・尾張徳川家の居城として栄えるのであった。

 名物の「金の鯱」はその当時の大判1940枚、小判1万9975両の金を使用している。しかし第二次世界大戦中の1945(昭和20)年5月の名古屋空襲で残念ながら大・小天守閣、本丸御殿が焼失。瓦礫の下より「金の鯱」の溶けた破片を集め、茶壷が作られたとか。1954(昭和34)年には再び「金の鯱」輝く五層の天守閣(48m)と小天守閣(24m)が建て替えられた。ここで使われた金(18k)は、雄(北側)44.69kg、雌(南側)43.39kgで本物なのである。

 「尾張名古屋は城で持つ」名古屋の象徴が城である。バブル崩壊後の日本経済にあって、名古屋は全国から見ても大変な発展の兆しを見せている。その原因は「トヨタ自動車」安定した好調さにあり、更には2005年に開催される「愛知万博」も重なり、町を歩いても様々な所でその勢いは感じられる。その結果であろうか、本年度のプロ野球は名古屋ドームを本拠地とする「中日ドラゴンズ」のリーグ優勝は間違いないようだ。人間の人生も、町の発展も、勝負の世界も、勢いのあるところが成功し勝利をしている。これからの日本の発展には、名古屋は重要な地域であり、その比重は一層大きくなりつつあることを感じざるを得ない。戦国時代にこの地域から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を輩出して日本の国家を作り上げた如く、今こそ日本経済を名古屋から全国に上げ潮の波動を送り続けてもらいたい。

撮影2004年 夏