◆お江戸・日本橋

 これまで東海道(東京〜神戸)を何回往復したであろうか。おそらく150回前後ではないかと思う。初めては中学の修学旅行。続いて大学入試より今日まで実に良く通ったものだ。初めの頃はJRの在来線を使っての夜行列車、急行列車がほとんどであった。所要時間は10時間を越えた。その後は飛行機を利用した。空席待ち年齢制限での「スカイメイト」のサービスである。19歳にして初めて乗った飛行機は快適で機内サービスも良かった。上空からの景色も珍しく興味津々、窓から顔を離さずに見蕩れてしまった。僅か一時間のフライト。タラップを上る時、降りる時は何故かリッチな気分になる。以降は新幹線が殆どで便利な交通手段として今日に至っている。

 ここ日本橋に来ることは普段殆どない。あっても通過するだけで、橋を眺めたり歩いたりすることはない。今回初めて訪ねてみて目を瞑ると、江戸時代の木造の橋が浮かんでくる。それは葛飾北斎の浮世絵「日本橋雪晴」であった。春らしい華やかな図柄の中心に、立派な日本橋が架かっている。更に思い出すのは歌川広重「東海道五十三次」である。お江戸日本橋より京都の間を自分で歩いたのであろう。五十三もの宿場を中心に風景、特徴を見事に捉え、浮世絵タッチで描写している。そのスタートの「日本橋朝之景」はあまりにも有名な作品となっている。魚を天秤棒でかついだ一団が、これから仕事に出掛けようとする庶民の生活が良く描かれ、日本橋付近の賑やかさが漂ってくる。更に大名行列の先頭が橋を渡り始めようとしている。最後の絵は「京都三条大橋」で、江戸の雰囲気とは違って大原女や京女で賑わい、旅の終わりの安堵感が伝わってくる。

 東海道が開通して400年を超える歳月が経過する。日本橋は当時の面影は全くない。上に首都高速が走り、経済成長最優先の姿は興醒めであった。この日本橋は1603(慶長8)年に家康によって架けられ日本の中心地として、更には諸街道の起点と定められ、現代も橋の中央に日本道路元標が埋められている。今日のルネッサンス式石橋は明治44年に架設された。

撮影2004年 春